思い出の鍋焼きうどん

私が20歳の頃のお話です。

2月22日の記事です。

食べ物にまつわる思い出

おはようございます。みなさんは多少なりとも食べ物にまつわる思い出というのがあるかと思いますが、私にもそんな思い出があって、鍋焼きうどんを見るたび(食べるたび)思い出すことがあります。

それは私が20歳の頃、ちょうど就職が内定し自動車学校に通っていた時の話になります。

その当時大館市内で自動車学校と言えば北部自動車学校と大館自動車学校があり、私は大館自動車学校に通っていました。それは授業の隙間にサダ婆ちゃんの家でお昼ご飯を御馳走になろうという目論見があったためでした。

サダ婆ちゃんというのは歳の割にきぢ人で(きぢ=きつい=頑丈なとか元気なとか丈夫な意味)与三郎爺ちゃんが亡くなった後も一人暮らしをしていた母方の祖母でした。

サダ婆ちゃんはその当時八幡沢岱に住んでいましたが、実家の婆ちゃんは最寄りのバス停が放送局だったため放送局放送局と言っていました。

サダ婆ちゃんも与三郎爺ちゃんも調理師の免許を持っていて、私が幼稚園くらいの時には横浜の多摩プラ-ザ駅の近くのどこかの会社の社員寮の寮母(?)まかない(?)をしていて、家族でそこに遊びに行ったこともあったようで、私は何となく駅の雰囲気はうろ覚えだったものの、他の記憶は全くありませんでした。

さて、自動車学校というのは取るべき単位の時間割がば~らばらで、実地(訓練)も予約が取れないと乗れなかったため待ち時間が結構あり、隙間の時間を利用して足しげくサダ婆ちゃんの家に通ったものでした。

サダ婆ちゃんの家 はもちろん表玄関がありましたが、表玄関に行くには細い道路を歩いてぐる~っと回らなくてはならず、私はいつも近道の裏口から訪問していました。

思い出の鍋焼きうどん

そこで思い出の鍋焼きうどんの話が出てくるのですが、サダ婆ちゃんを訪れるといつもお昼ごはんに鍋焼きうどんが出てきました。私はいつも鍋焼きうどんがあることを不思議に思ったものでしたが、うどんは好きだったし、特に追及することもなく、いつも当然のように鍋焼きうどんを御馳走になっていました。

私の記憶と辿ると、その鍋焼きうどんはいつもこんな鍋で出てきました。すっごくレトロなんですけど、その当時は何の疑いもなく(笑)それが普通だった気がします。

サダ婆ちゃんの鍋焼きうどんは、たまにトッピングが違うこともありましたが、基本いつも天ぷらとねぎとかまぼこが乗っていた記憶があります。

鍋焼きうどんは自動車学校に通っている時に何度も何度も食べました。だから鍋焼きうどんを見るとそのたびにサダ婆ちゃんを思い出すのです。

今日は作り置きの野菜スープ(野菜と煮ただけのもの)があったので、それを使って鍋焼きうどんを作ったんですが、私はいつもの通りサダ婆ちゃんを思い出しながらうどんをすすったのでした。私が20歳の頃の思い出です。

写真は2月22日の夕飯です。

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「思い出の鍋焼きうどん」への2件のフィードバック

  1. 食べる直前に生卵投入派です!
    なお、つゆは飲み干さず、冷や飯を投入して再加熱&もう一個卵入れるという贅沢が忘れられない。

    1. Daimalさん

      私としたことが重大なことを忘れていました。サダ婆ちゃんの鍋焼きうどんにはいつも卵も入っていました。
      白身が固まって黄身は固まっていない半熟状態です。
      Daimalさんはひと鍋で二度おいしいってやつですね(笑)

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