※3月19日の記事です。
女の勘
おはようございます。その日は3月にしては暖かい日でした。友だちとランチして帰宅する時に、偶然にも町内でトラックに乗った二人組の男性を見かけました。私はマイカーをトラックに横づけし、「金物を集めているの?」と尋ねました。予感的中でした。こういうのは女の勘でわかるんだよね~。
即刻「ついて来て!」って言って、我が家に案内し、鉄くずを持って行ってもらうことにしました。我ながら大胆行動でしたけど、それは大正解だったと思っています。
わが家の現状
わが家は以前食べるくらいのお米を作っていましたが、じいちゃんがボケてからは田んぼを作れなくなり、おっとうも田んぼをやる人ではないし私もできません。かつてはフル稼働していた農機具類も、昨年ある程度処分したものの、我が家にはまだ残っているものもあり、それに付属するモロモロのたくさんのものもありました。
またうちのじいちゃんはにわか何でも屋だったため、工具だの資材だのも残っていたし、捨てられない性分だったため不要なものもたくさんありました。それと近年まで薪ストーブも使っていて、その薪の代わりに古材木を切って使っていたこともあり、焼け残った釘だとかも大きなバケツに2つ分ありました。私はそれらをいつも片づけたいと思ってたんだけど、自分のものではないので遠慮しているところもありました。
頑張った自分
せめて自分でできる範囲のことは自分でやろうと思って、これは二年前のことになりますが、タイヤ回収業者を捜して呼んで、タイヤを処分したこともあったし(タイヤは爺ちゃんが何かに使えると思ってか、車庫に積み上げていたものでした。アルミホイールは少しはお金になりましたけど、相殺して若干お金がかかりました。自分で全部持ち込んで処分なんて絶対あり得ないレベルの何十本ものタイヤでした。)
マイカーにドラム缶を積んで、釈迦内のスクラップ屋に何往復もしてドラム缶を処分しに行ったこともありました。私がです!(これは少しお金になりました。一般家庭でドラム缶が4本もあるなんてあり得ませんけどね。その後、もう一本あったことに気がつくが時すでに遅し。)
沼館のごみ処分場にごみを捨てに行ったり、(自分の中ではたくさんあると思っていましたが、処分場の規模からすると鼻糞レベル)
切り落としてもらった松の木を、自分で結わえて破砕ゴミに出したり(その時の記事はこれなんだけど、自分の手に負えないものは持つべきではないと思いました)
女手でひとつで出来ることには限界があり、何でいつも私だけこんな尻ぬぐいばかりしなきゃならないんだろうって思っていました。実のところ。だから鉄くずがお金になるのはわかっていたけど、到底自分の手には負えないため、このタイミングで拾う神が現れた!と思ったほどでした。
それからがガラクタ市の始まりでした。その時の様子はこの通り。あら、申し訳ありません。画像が不調のようです。
ただ、人にはやりたいこととやりたくないことがあって、やりたくでもできないこともあり、今回はやりたくてもできなかったところに拾う神が現れたので、とても助かりました。
気がつけば鉄くずはトラック一台分になりました。かき集めればもっとあるはずですが、どんだけ蓄えていたのよっ!って感じです。これで、女手一つでは到底できなかったことだと理解していただけたと思います。
私がいつも思っていることは、自分が逝くときには立つ鳥跡を濁さないように、残された人に迷惑だけはかけないようにしたいということ。 墓場に余計なものは持って行けませんから。爺ちゃんはまだまだ元気ですけどね(笑)
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