みなさんには多少なりとも食べ物にまつわる思い出というのがあると思いますが、実は私にもそんな思い出があって、鍋焼きうどんを見るたび(食べるたび)思い出すことがあるのです。
それは私が20歳の頃、ちょうど就職が内定し自動車学校に通っていた時の話になります。
私の祖母はサダ婆ちゃん
当時大館市内で自動車学校と言えば北部自動車学校と大館自動車学校の二択でしたが、私は何の迷いもなく大館自動車学校に通うことにしました。
それは授業の合間にサダ婆ちゃんの家でお昼ご飯を御馳走になっちゃおうという目論見があったためでした。
自動車学校というのは取るべき単位の時間割がば~らばらで、実地(訓練)も予約が取れないと乗れなかったため、サダ婆ちゃんの家に行けば私にとってはものすごく好都合。
当のサダ婆ちゃんと言うのは歳の割にきぢ人で(きぢ=きつい=頑丈なとか元気なとか丈夫なの意味)、与三郎爺ちゃんが亡くなった後もひとり暮らしをしていた母方の祖母でした。
サダ婆ちゃんは当時八幡沢岱に住んでいましたが、実家の婆ちゃんは最寄りのバス停が放送局だったため、サダ婆ちゃんのことをいつも放送局放送局と言っていました。
そんなサダ婆ちゃんの家にはもちろん表玄関がありましたが、表玄関に行くには細い道路を歩いてぐる~っと廻らなくてはならなかったため、私はいつも近道の裏口から訪問していました。
思い出の鍋焼きうどん
そこで思い出の鍋焼きうどんの話が出てくるのですが、サダ婆ちゃんの家を訪れるといつもお昼ごはんに鍋焼きうどんが出てきました。
私はいつも鍋焼きうどんがあることを不思議に思ったものでしたが、うどんは好きだったし特に追及することもなく、いつも当然のように鍋焼きうどんを御馳走になっていました。
私の記憶を辿ると、その鍋焼きうどんはこんな鍋で出てきました。すっごくレトロなんですけどその当時は何の疑いもなく、それが普通だった気がします。
そしてサダ婆ちゃんの鍋焼きうどんは稀にトッピングが違うこともありましたが、基本いつも天ぷらとねぎとかまぼこが乗っていた記憶があります。
鍋焼きうどんは自動車学校に通っていた時に本当に何度も何度も食べました。
思い出の鍋焼きうどん再び
そんな思い出があったため、私はいつも鍋焼きうどんを見るとサダ婆ちゃんを思い出すのでした。
あれからもう〇十年になりますが、いまだに鍋焼きうどんはサダ婆ちゃんの味として私の中に残っています。写真は2020年2月22日の夕飯です。
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